とくになにもないよ

パワプロとか雑記とか #などと

AIノベリストで小説を書いた。

https://ardeagle.hatenablog.com/entry/2021/10/28/201629 の多分別視点版です。

 

以下本文

 

ある日、鈴木くんがサッカーで盗塁を決めた。彼は自分の得意なポジションである「四番」を名乗り始めたのであった。私は最初意味がわからなかったが、今となってはそういうものだと思っている。

「いや、それはおかしいよ」と言い出した者は一人二人いたが、いつしかその流れは自然と受け入れられていた。そして私はいつの間にか四番打者を気取っていたのであった。
ただそんな風に、1週間に一度の割合で、誰かが何か新しいことを言い出すのだけれど、その度にまたみんなすぐに忘れてしまう。

そしてある日、プロサッカー選手でありプロ野球選手でもある田中選手が報道陣の前でこう言った「野球でコーナキックをする人がいるように、サッカーでもホームランを打っても、それがファールではなくホームランになっていいじゃないか、と私は思うのです」
「これからは野球とサッカーは一つのスポーツになるのです。そしてこれを”ベースボール”と呼ぼうではないか!」
「これは私の子供の頃からの夢でした。皆さんもどうか、一緒になって夢を見ましょう!」
この宣言はニュースとなり、全世界の人々から祝福された。 『これが本当の革命なのか。』私はそう思った。

翌日からメディアは”ベースボール”一色だった。今まで「野球」「サッカー」と呼ばれていたスポーツには「ベースボール」という名前が与えられた。
もう野球やサッカーのルールを変える必要は無いし、野球やサッカーのルールを覚える必要も無い。ただ単に「ベースボール」と言えばいいだけだからだ。
私もいつの間にか、「野球の投手になろう」、「サッカーのキーパーになろう」とは思わなくなっていた。私は「野球選手」、「サッカー選手」なのだ。何一つ悩むことなんてないんだ。
そして私はベースボールの練習をした。ベースボールのピッチャーになるためだ。そしてホームランを打った時、それをわざと大きく空振りして見せることが大事なことに気づいた。ホームランを打つことは素晴らしいのだが、それをゴールキーパーに取られたら意味がないのだ。また相手ゴール前に盗塁を決めるのにもコツがいる。相手のフォワードの動きを観察する必要があるからだ。もしそれを怠ったら、せっかく良いところにまで行っていても相手に抜かれてしまい、そのままボールをゴールされかねない。また、ボールを取りに行くことも重要な役目である。ボールを奪い取った後、すぐそこに居るチームメイトに素早くパスするのも良いプレーである。
やがて私は「キャプテン」と呼ばれるようになった。
ある時、鈴木くんが試合中に足を捻挫してしまった。とても痛そうだ。そこで私はこう提案することにした。

「キャプテン! 俺を代走として使ってください!」
しかし、その時既に鈴木くんは私の事を「キャプテン」と呼んでくれていたのだ。なので、私は鈴木くんの代わりに代走を務めた。
私は走った。全力疾走でグラウンドを駆けた。
「がんばれ! 走れ!」
私はその勢いでホームインをした。その勢いでチームは勝利した。またある時は「キャプテン! 代打に出てくれませんか?」と言われ、それに応じて打席に立つことにした。
だがいざ自分が打とうとすると緊張してしまい、いつものようにスイングができない。すると、
「落ち着け!」と守備についている他の選手達に怒られた。そしてその声を聞いて私は少し落ち着いたのであった。そして冷静になった私は、いつもより強いスイングをしてみた。するとボールは相手ゴールネットに吸い込まれていった。
そしてベースボール大会の決勝で私は、最大の活躍をしてみせた、試合終了まで残り4分。1-3で負けていた。相手チームのキーパーの守りが固く、なかなか得点することができないでいた。そこで私は考えた。
(そうだ、あの手を使おう)
私はまず相手のゴールから遠い位置で高く飛んだ。その後、シュートを打った。これが逆転満塁ホームランになった。
こうして私のチームが優勝したのだった。ちなみにこの時のプレイが評価されてか、「最高のキャプテン」と呼ばれるようになり、私も嬉しかった。

その後私は大学に進学した、大学でもベースボールは続けていたが、就活が忙しくなりやがてやらなくなっていった。
ベースボールの時間を犠牲にしてまでも就活をしたおかげもあり私は一流企業に就職することができた。
会社に入ってからも、私の人生は順調で、27歳の頃、結婚をしその後1人の子を持つことになった。名前は翔太、男の子だ。

子どもたちのあいだでももちろんベースボールは人気だった。そしてベースボールはここ10年の間に、驚くべき進化をしていた。今では野球というよりかはむしろサッカーの派生競技であると言った方が分かりやすいかもしれない。
子供達の間でベースボールとその他球技の区別がつかなくなったように、いつしかバスケットボールとベースボールの区別もわからなくなってしまった。今では小学生も、高校生も、プロのサッカー選手もみんなベースボールをやっている。もはやこれはベースボールなどではなく、野球と呼ぶのも烏滸がましいのではないか? ただ単に「ベースボール」と言えばいいだけなんじゃないか、そう思ったこともあった。
私もそんなことを考えながら日々の労働に明け暮れる社会人だった。
ある日のことだった。私が働く会社に一人の男が入ってきた。その男は入社早々上司にこう言ったらしい。
「私には夢があるのです。」
男の名は上田と言うそうだ。彼は「プロベースボール選手になりたいのです。」と言った。
その時、私は思った。
(あぁこいつバカなんだな)
しかし上司は朗らかな表情でこう言った「なるほど君もかね! 実は僕にも夢があるんだよ。」
どうやら上司の夢というのはプロベースボールの選手になることのようだった。上司はこう続けた。
「それはね、『監督』だよ。」
「へぇ、監督ですか。じゃあ僕はコーチになりますよ。」
こうして二人は意気投合した。そして二人は会社をやめた。
私は驚いた。まさかスポーツ1個のために地位も捨てる人がいるとはと。

そして、彼らの行動力に感心もした。ただ、二人の将来が心配ではあった。だがその予想は大きく外れることとなる。
なんとその会社は2人とも数年も続き、さらには二球団目まで作ったのだという。さらにそこから業界最大手にまで成長してしまった。そして彼らは、その企業名を、そのまま自分の名としたのだ。
その名も株式会社 上田ファイターズ。それが彼らが作り上げた会社の名である。
「私は社長兼選手として頑張っています。あなたもぜひ監督兼コーチとして我が社に来て下さい。そして二人で共に日本のベースボール界に革命を起こしましょう!」のCMを聞かない日は無かった。

またベースボールは世界中で人気で、インドでは沐浴をしながらベースボールをする人や、フランスではベースボール・ワールドカップの開催も行われているし、ブラジルではプロの野球選手たちが野球教室を開いたりしている。

またベースボールの始祖である田中選手は世界中で大人気であり、世界中の何処ででも尊敬されているとか。それにあやかり子供の名前に”タナカ”とつける人もアメリカなどではいると聞いた。

このように世界中でベースボールという競技が愛され続けていることは素晴らしいことだと思った。
だが、その一方で日本では、ベースボールはサッカーから派生したスポーツという認識が定着してしまっている。これは果たして正しいことなのか…………。

このことについて翔太に話したところ意外な答えが返ってきた。「ベースボールはベースボールだよ?サッカーも野球もベースボールだよ。たしか卓球もベースボールだと思うよ?ベースボールはね、どんなものでも混ぜることができるんだ。野球も、テニスも、バスケも全部一緒さ。だってボールが違うだけでルールは同じだもの。ベースボールが混ざったって別に問題はないと思うんだけどなぁ。」

そう言われれば確かにそうだなと納得した。ベースボールはベースボールなのであり、ぬるま湯が水と熱湯の混合物であるのか、熱湯が冷めたものなのか、水が熱湯になるまでに通る過程なのかが無視されるように、ベースボールがサッカーであるか、野球であるかは関係ないのだ。

それは、たとえばベースボールを野球の派生競技と呼んでも良いし、逆にサッカーの派生競技と考えても構わないという事なのだ。それどころかバレーボールがバスケットボールから進化したものであることを思えば、ベースボールもまた同じ進化を遂げるだろう。

要するにベースボールという概念は曖昧模糊としており、定義付けしようにもできないのだ。だから野球かサッカーかという問題は永遠に決着しないのだ。それはもはや私達の頭では解決できる問題ではないのだが、それは些末なものでしかない、なぜならそれよりもベースボールは楽しいからだ。

あれから更に何年かが過ぎ、翔太は中学生となった。
翔太は中学校ではベースボール部に所属した。頑張っているそうだ。彼は上田ファイターズに入団したいと言うので「その会社は、僕の会社の人がわざわざ会社を辞めてまで作ったんだよ。」と言うと翔太は目を輝かせて「やっぱり上田さんはすごいなぁ!父さん、サインもらった?」と言ってくれた。私は嬉しかった。

そういえばあの時、田中選手が言っていた「ベースボールには無限の可能性がある」という言葉の意味も、今となってはよくわかる。「ボールさえあればどこでもできるスポーツ」という意味で、こんなに自由な遊びは無いと私は思う。また、どんな球技もそうであると言えるだろう。バレーボールも野球も卓球も、そしてベースボールさえも、どんなものでも混ぜてしまうことができるのだ。それこそが「ベースボール」の面白さなのだと思う。

翔太が2年生のとき、翔太の所属しているチームの試合を見に行った。場所はゴルフ場であった事を覚えている。そしてそこで翔太が大活躍を見せていた事も鮮明に覚えている。それはもう凄かった。翔太は身長が170cmあり、体格はいい方だったので、パワーのある選手だとは思っていたが、彼のプレーを見たとき私は驚愕した。翔太はバッティングは言うに及ばず、守備でもパスが上手かった。スピード面では相手の打球を避けながらフェアウエーをドリブルしていくところを見て、彼ならばプロの選手になれるのでは?と思ったほどだ。しかしそんな思いとは裏腹に彼のチームは敗北した。その試合では相手チームの方が実力があったのだろう。
相手チームの選手は3番ホールにてホールインワンを決め、また5回にはスリーポイントシュートと決め、また6回にはツーポイントシュートを決めるなど活躍したという話を聞いた。一方翔太たちは負け続けたのだそうだ。翔太曰く「あいつら強いやつらとやるときは絶対1人しか打たないからなあ。」だそうだ。
その後翔太たちのチームは3位決定戦にて勝ったが、翔太は悔しくて仕方がなかったらしく、帰り道に「次こそはホームラン打ってやる!」と言っていた。
翔太は、沢山のクラブに所属したり辞めたりしていた。そしてどのクラブでもレギュラーになれなかったようだ。それは彼にとってはとても辛いことだったろう。だが、そのおかげで色々な経験ができたとも言えるだろう。
翔太はスポーツ推薦で全寮制の高校に通うことになった。
「僕、上田さんみたいになりたいんだよねー。」と言われたことがある。そのとき私は「彼はすごいよ。好きな事を仕事にしてるんだもん。」と答えた。すると翔太は「そうなんだぁ…………。」と呟き、何かを考え込んでいたようだった。

それからしばらく経ったある日、翔太から電話がかかってきた。
「ベースボール、ベースボール、ベースボール。」
「どうしたの?翔太。」
「ベースボールじゃないスポーツってあるの?」
「あるんじゃない?相撲とか短距離走とか、あとは…アーチェリーとか?」
「いや、相撲はベースボールだよ?だってほら見てみなよ、まわし着てるでしょ?」
「ああ…そういえばそうかな…けど、相撲だって色々ルールはあるでしょ?」
「それは相撲部屋が違うだけでおんなじさ!短距離走も同じだよ。だって短距離走はねベースボールだから。ベースボールって言葉を使うのは、みんな一緒なんだ。だからベースボールじゃなくてもルールは同じだよ。」
なんというか、「ベースボールは怖い」と思った瞬間である。
ベースボールは様々なスポーツを吸収し、大きくなっていった。そしてソレが大きくなるにつれて他のスポーツもそれに影響され始めた。例えばフェンシングでは、突き刺す動作がベースボールに似ているため、フェンシングもベースボールになったし、スキーもベースボールになった、スキー板が野球帽の形になっているのはそのせいだと言われているらしい。もちろんクリケットは今でも残っているのだが、その形からしてベースボールに近い。またテニスは元々、ベースボールのようにコートの中を走り回り、相手の陣地へボールを返す遊びが発祥であったため、ベースボールとされる。また馬術も今ではベースボールだ。なぜなら馬に乗っているからだ。
つまり、ベースボールという言葉はあらゆるスポーツに影響を与えているのだ。
私の息子、翔太はベースボールをしている。しかし私が子供のころのベースボールとは異なったものとなっている。

「…翔太、ベースボールは”本当に”好きかい?」
「うん!大好きだよ!!」
「そっか……それならいいんだけど……。」
と電話を切った。私は不安に思うのだ。
もしこの先、ベースボールが別のものになってしまったら、翔太にとっての本当のベースボールはなくなってしまうのではないかと。

私はテレビをつけ、ベースボールを見ることとした。そこでは驚くべきようなことが行われていた。まず第一にキャッチャーだ。今はマスクをしているが、私の少年時代にはヘルメットをかぶっていたように思う。第二には、今見ている試合には敵チーム、相手チーム合わせて100人ほどがいてグラウンド上で「カバディカバディ」と叫びながら各々殴り合っている。第3にはバットを振る選手が10人いる。彼は打者としてではなく守備についていたはずだが……しかしそんなことは関係なかったのか……、とにかく守備位置から離れてまでスイングをしてしまっていた……、そのことに監督は喜んでいるようだ。驚くべきことはまだまだいっぱいある。ピッチャーが投げるとき、捕手が投手の手を持って振り回しながら投げるのでは無いということにも驚かされたし(おそらくそういう時代があったのだろう)、バッターボックスから出るときにキャッチャーに向かってボールを放り投げたりする選手もいる事などである。
私は愕然とすると共に思ったのは、 果たしてこれが正しいベースボールなのかと。翔太は正しいベースボールをするだろうか。翔太はまだ子供だが、翔太もいつの間にか大人になる。きっと彼はいつか気づくだろう、ベースボールは野球であったことを。

またある日の試合ではマウンドにはかがり火があった。それはまるで神聖な儀式のようだった。

そして別の日の試合では選手は皆裸で馬に乗り槍を持っていた。そしてそれが何試合も続いたのだった。

また大晦日の試合では選手は全員全身から汗を流していた。そして試合中に新年を迎えると、皆東へ向かって走り出した。どうやら、その先にはお釈迦様がいるらしい。そしてそのお釈迦様が「世界各地のベースボールマンよ、明けましておめでとう!」とおっしゃった。

そして私はこう考えた。「ああこれはもうダメかもしれないな。」そして、その通りだった。

ある日の試合だった。それは翔太の高校の地区大会であった。そこで翔太はホームランを打った。しかしそれは、かつて私が見たことのあるような野球のホームランではなかった。まずボールは直径が1m近くあり、それは火を纏っていて、そしてそのボールは空高く飛んでいった。そして翔太はそれをキャッチしホームベースを踏んだ。
「翔太!!お前は今何をしたんだ!?」
「え?ホームランだけど?」
私は叫んだ。
「そうじゃない!なぜあんなボールを打てたんだ!アレはどう考えてもおかしいぞ!アレはベースボールじゃない!アレはベースボールじゃない!あれはベースボールじゃない!あれはベースボールじゃない!あれはベースボールじゃない!」
翔太はこう返す。
「でも僕、ホームランを打ったんだよ。」
「違う!それはホームランなんかじゃない!ただの内野フライだ!!」
「………………内野ってなに?」
「……内野ってのはね、つまり……」
私は説明しようとしたが、うまくできなかった。
「まあ、いいじゃん!それより早く帰ろうよ。」
翔太は高校の寮へ帰っていった。

私は思った。
翔太はもう、本当のベースボールを知らないまま育っていくのだろう。
私はもう一度あの頃の純粋な気持ちを思い出したいと思った。
しかし、それを思い出しても意味が無いことも分かっていた。

そんな事を思いながら、テレビにてベースボールの試合を見る。そこでは、やはり奇妙なことが起こっていた。
バッターボックスに入った選手はラケットを振り回している。するとそこにゴールキーパーが来て、「よし、ホームランだ」と叫ぶ。するとコート内の全部の選手はラケットを振ったあと、ラケットを投げ捨てる。
「なんなんだ、コレは……。」
私が呟くと、横にいた妻が答えてくれた。
「アレはですね、バッティングですよ。」
「?」
「はい。バッターがラケットを振ることによって、打球が飛ぶんです。そしてその打球が飛んだ先によって点数が入るわけです。例えばさっきの場合ならホームランなので点が入ります。得点が入ることをヒットといいますけど。バッターボックスに入った人はボールを素手で持つことはできないのでラケットを使って打つんです。それでラケットの振り方が下手であればその人の打撃成績は最悪ということになりますし、うまい場合はスリーポイントシュートを打つこともあり得ますね。まぁ大体はダブルフォルトになって減点になるんですけどね。また試合終了777秒前になるとコートの中の全員がラケットを持ってグラウンド内を走り回り始めるので試合が終了するわけです、ただその際にハンターに捕まると1分ほど動けなくなるのでソレを短剣とAK-47を使いどう防ぐかが見てておもしろいですよ。」
「……?」
「また一番印象に残った試合は去年の夏行われた、甲子園で行われた大会ですが、そこでトライを決めた選手がそれを決める3分前にこう叫びました『俺は今日絶対にホールインワンをきめる!!俺はこの打席でツーストライクを取る!!俺はここで背負投を決めそいつを相手ゴールへ投げ込む』と叫んでいました。そして打席に立ったその人は見事に三振してしまいました。残念。そしてその時叫んだセリフがこうでした。『俺にはわかっている!これは絶対に決まる!!』そして彼はホールインワンを達成しました。そして見事優勝を勝ち取りました!」
「…………。」
「どうです?面白いでしょう!」
……とても面白くなかったし、むしろ怖かったのだが私は言った。
「ベースボールって結局何なんさ?」
妻は答えた。
「それはですね、皆さんの心にあります。ベースボールとは心なんですよ。」
「???」
「人間は何かを考える時、自分の頭の中で考えていますよね。その頭の中にあるものをベースボールで表現して、それを皆に投げているのです。それがベースボールなんです。例えば、あなたがベースボールをする時にはベースボールを愛する。そしてベースボールはあなたの心を愛している、という事なんです!そうです!だからあなたがホームランを打てばベースボールは喜び、ファールを打ったら悲しみ、いいパスが出せたりヒットが出たら嬉しくてたまらなくなり、そしてロングシュートを決めればベースボールはあなたとともに喜ぶ、そんな存在なのです!!さあ、ベースボールをはじめましょう。まず最初にする事はなんでしょうか?そう!キャッチボールですよね!?そうです。ベースボールをするにはこれが欠かせないですからね。じゃあいきますよ~!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」
私は目の前のものが信じられくなった。なぜだかはわからない。ただ一つ言えることは、私が子供のころ見ていたベースボールは偽物だったと言うことだ。私はまだ何も知らないまま育った翔太のことが少しだけ心配になった。

ベースボールはベースボールであってベースボールではない。

そうか。

ベースボールは全てなのだ、きっと翔太もベースボールで、私の妻もベースボールだ、私の人生や上田さんも全てベースボールなんだ、子供の時のチームメイト、鈴木くんもベースボール、ベースボールを考案した田中選手もベースボール、野球選手全員ベースボールなんだ、そうだ、私が私であるようにベースボールはベースボールなんだ、私は今気づいたんだ、私は今までベースボールのことを何も知らなかったんだ、私は今までベースボールのことをベースボールだと思い込んでいたんだ、いやベースボールなんていうものは存在しなかったんだ、私がベースボールだと思ったものがベースボールなんだ、私がベースボールだと思っていていなかったものもベースボールなんだ、私の人生をベースボールだと思えば私の人生はベースボールなんだ、私の人生をベースボールだと思うだけで私の人生はベースボールになるんだ、私は今まで何をしてきたんだろうか、私は今までベースボールのことばかりを考えていたんじゃないか。

「…………。」
私はふと我に返った。
「あ、すみません。つい興奮してしまって……。」
「いや、大丈夫だよ。それより君は本当にベースボールが好きなんだね。」
「はい。大好きです。」
妻は満面の笑みを浮かべていた。
「じゃあ次はバッティングセンターへ行こうか。」「はい!でもどうしてバッティングセンターなんですか?」
「君のホームランをもっと見たくてね。」
「はっ!わかりました。ではいきましょう!」
「よし、いこうか。」
私達はバッティングセンターへ向かった。
バッティングセンターに着くと妻は言った。
「まずは何からやります?」
「じゃあとりあえずホームランを打ってみてくれないかな。」
「えぇ!?いきなりですか?うーん……じゃあやってみます!」
「頑張ってくれ。」
「はい!じゃあいきます!」
妻はバットを構えた。
「おおおぉぉぉぉ!!!」
妻は雄たけびを上げた。そして思い切りスイングした。しかしボールは当たらなかった。
「くそぅ!次こそは!」
「もう1回やるかい?」「いえ、いいです!次いきましょう!」
「わかった。じゃあ次はピッチングマシンの方にしようか。」
「はい!わかりました!」
妻は再びバットを構えてピッチングマシンの方を見た。
「よし!いくぞ!」
バキッ!!
「やったぁ!!」
「おめでとう。ホームランだね。」
「ありがとうございます」

こうして、私達のベースボールは続く。
ベースボールとは幸せな瞬間であった。
ベースボールをしているとまるで翔太や妻と一体になった気がしたからだ。
今までベースボールを奇妙なスポーツだと思っていたけど今は違う。ベースボールはベースボールなのだ。ベースボールにはルールはない。なぜならばそれはスポーツではなくベースボールだからだ。
ベースボールをすることによって私達は一体となる。
そしてみんなが幸せになれるのだ。
ベースボールには善悪など存在しない。あるとしたらそれは存在しないということだ。
だから私達にとってベースボールはとても神聖なものであると言えるだろう。そしてこの神聖さが人間を幸福にするものだとも言えるのではないかと思う。
ベースボールにおいて最も重要なことは何かと言えば、やはりコミュニケーションであろうと思われる。つまり、自分だけでなく他人を思いやることが必要なのである。それができなければベースボールはできないと言っても良いくらいだ。
だからこそ私達はお互いを尊重しなければならないのである。人はそれを成長と呼ぶ場合もあるが全く不自然にそのようなことを考え続けるというのは自然なことに逆行したことと同じであると言えうる。

結局我々は成長したくない生き物ではないかという議論に答えはないがそのとおりではないかと想像するところも少なくはないというのが真実である。ただ我々の考えが正しいかどうかなんてことは全く意味の無いことであるかもしれないということなのではないかということも理解できるような気もしたりしなかったりするのだが果たしてそんなことを今語ってみたところで仕方が無いということでもあったりするような無かったりした感じなのであまり深く考えている暇もなかったりするのでまあどうでもいいとしておいてさっぱりと忘れることにした。それよりもベースボールだ、ベースボールだ、ベースボールだ、ベースボールは全てだ、ベースボールは神様だ、ベースボールは真実だ、ベースボールは救世主だ、ベースボールは世界だ、ベースボールは私だ、ベースボールは私の人生だ、ベースボールは私の全てだ、ベースボールは私の全てだったんだ、ああ、ベースボールは楽しいなあ、ベースボールは素晴らしいなあ、ベースボールは最高だなあ、ベースボールは正義だなあ、ベースボールはベースボールだなあ、ベースボールはベースボールなんだなあああああ。

[ビデオが終わる。照明が明るくなり、先生が教壇で話しだす。]
ーーーーーーーーー
…このようにしてベースボールは人を狂わせ、やがて2068年末の社会崩壊事件、そして2069年のベースボール事変と呼ばれる、ベースボール以外の概念の物質的消失事件と繋がったのである。

火星に人類が到達したのは今から40年ほど前だった、そのときはまだベースボールは異常なスポーツではなかった。しかし時間が立つに連れすべてのスポーツ、すべての宗教、すべての文化がベースボールに飲み込まれていった。
ベースボールという概念によって人々は幸福になり、ベースボールという概念によって人は堕落し、ベースボールという概念によって世界は滅びた。
しかし人々はそれでもまだベースボールに熱中していた。いや、熱中というよりも依存と言った方が良いだろう。とにかく彼らはベースボールのことしか考えられなくなっていたのだ。ベースボールがなければ生きていけない。幸いにも火星ではその危険性に気づいていた人が多くいたので2052年までにそれを禁止にすることができた。
ただ、地球ではそうはいかなかった。地球ではベースボールは狂気であり、もはや正気を保つことすら難しいほどにまで人々を蝕んでいたのだ。
そこで2058年、ある国の政府はベースボールを禁止した。
しかしそれに対して暴動が起きた。そしてベースボールにより超人的な力を得ていた人々は政府に対して戦いを挑み、勝利してしまった。これがきっかけで社会崩壊事件が始まった。まず2059年には
ベースボールを信仰する宗教団体が誕生し、人々を次々と洗脳していった。さらに2060年にはベースボールの大会が開かれ、優勝賞品としてベースボールの概念が人々の頭に埋め込まれてしまった。これによって人々はますますベースボールに溺れていくことになった。
また、2065年にはある国でベースボール禁止令が出された結果、ベースボールによるテロが多発し、ついにはベースボールを禁止する法律まで作られてしまった。しかし人々はそれでもなおベースボールを愛し続けていた。ベースボールのない生活など考えられない。ベースボールさえあれば何もかもうまくいく。ベースボールは素晴らしい。ベースボールこそが正義だ。と人々は叫び続けた。
そして2066年1月、ある国が存在しなくなった。存在しなくなったというよりベースボールに取り込まれたと表現した方が正しいかもしれない。ベースボールを否定するものはベースボールではなく、ベースボールファンはそれを認めないからだ。こうして社会崩壊は連鎖した。
そして2068年、ついに社会は崩壊した。
ベースボールという概念が世界を覆い尽くした。
人々はベースボールのことを愛していた。それはもう愛しているという言葉すら生ぬるく感じるほどのものだった。
人々はベースボールを崇め、崇拝し、奉った。
人々はベースボールのために生き、ベースボールのために働き、ベースボールのために死んだ。
人々はベースボールの奴隷となり、ベースボールの家畜となった。
2069年3月。ついにベースボールの概念は物資を超え、人間を超えた。
人々はベースボールの肉体を持ち、ベースボールの精神を持つ存在へと進化した。
人々はベースボールへの信仰心から、ベースボールそのものとなることができたのだ。

……かくして地球の人類の歴史は終わった。ただ、最後までベースボールに抗い続けた者もいた。彼等は未だに地球で暮らし続けているらしい。

「…………これが、私の知っている限りの真実です」

火星の中学校ではこのようにして、私達に一体何があったのか、ベースボールとは何なのかを習う。私はこの授業が大嫌いだ。私にはどうしても理解できない。なぜこんなことをしなければならないんだ?人類はどうしてベースボールなんかを好きになってしまったんだろう? 

私達は確かに何かを間違えているのではないだろうか……? 先生の話が終わると、教室の中がざわめき出す。

みんな口々に話し始める。

「なあなあ、俺のお母さんの兄はベースボールにハマった結果腕が60本も生えて、それでいてベースボールが好きだからって理由でバットで人を殺しまくってたらしい!すごいよな!」

「ベースボールって今は禁止されているけど、さぞかし楽しかったんだろうなあ…一度でいいから見てみたいなぁ……」

「俺の親はベースボールに殺されかけたことがあるぜ!ベースボールの球に当たって死にそうになったんだよ!その事がきっかけで火星に来たんだって」

「ベースボールは恐ろしいものだよ。ベースボールがあるだけで人はおかしくなる。ベースボールがなければ世界は平和だったんだ。ベースボールなんてなければ…」

「でもなんでそんなことになったのかなあ?ベースボールが好きだっただけなのに」

 

次の歴史の時間でも2030年から2070年にかけての混乱を習った。そのテキストにはこんなことが書かれていた。『2056年12月、ある県にて町中でのベースボール禁止令が発令された。しかし人々はそれに従わず、ベースボールを続けたため、秩序が崩壊してしまうこととなった』『2062年、ベースボール以外のスポーツは消えた。というよりベースボールに飲み込まれたという方が正しいだろう。はじめはサッカーと野球の融合スポーツであったベースボールは、どんどん成長を続け、バスケットボール、テニス、ゴルフ、卓球、ラグビー、バレーボール、ビリヤード、ボーリングなどをボールを使ったスポーツのみならず、マラソンや剣道、クレー射撃、サーフィンなどの競技や、スキーやカーリングやスケート、ボブスレースノーボード、そしてフィギュアスケートといった、氷上や雪上のスポーツ、相撲やカバディなどの伝統的なスポーツ、馬術や闘牛といった動物を使ったスポーツ。果てにはスポーツハンティングやサバイバルゲームなどの銃を使ったスポーツまで吸収して我が身とした。』

2045年頃、ベースボールは我々の理解を超えたスポーツとなっていた。まず、行われている内容が異常であった。例えばまだ2030年頃にはただ単にボールを蹴り、打つことで得点するスポーツとして認識されていたが、その後ベースボールはボールを打つことによって生じるエネルギーをボールに与えることによって、相手チームの陣地にあるゴールへボールをシュートするという方法が主流になっていった。これはもはやただの蹴るだけの球技ではなかった。そしてフィギュアスケートのように芸術点が競われるようになってからは、芸術点を競うためにさまざまな競技の技術が使われるようになっていった。また「ランナー」と呼ばれる選手がフィールド上を駆け回りながら、次々と打席に入っていくこともあった。古典の野球のルールからするとあり得ないことである。次に盛り上がりが異常であった。なんとベースボールの試合の平均視聴率は83%だったという。それもこれも全てベースボールの力によるものであろう。最後にベースボールはスポーツだけではなく、政治や経済、科学、哲学にまで影響を及ぼしていったからだ。ベースボールが浸透していくにつれ、地球の人口は減少し始めた。それはまるでベースボールによって生命が吸い取られていくかのようであった。当然のことだが、この事態に異議を唱えるものもいた。しかしベースボールは止まらなかった。むしろますます勢いを増していた。ベースボールはもはや止められない存在となったのだ。』

『2060年を迎える頃にはベースボールにルールなど無く、楽しさのみが重視されるようになっていた。なのでピッチャーが機関銃を持って相手チームの人達を惨殺したり、1分に一回爆発が起きたり、ゴールキーパーが戦車に乗り相手のゴールやホームラン、サービスやチキータを無効化したり、果ては味方チーム同士で殺し合いをしたりしても誰も何も言わなくなった。それが楽しかったからだ。』

『ベースボールは人間を超人にしてしまうこともあり、例えば腕を必要に応じて100本生やしたり、戦車の砲弾を蹴り返し、その戦車の装甲に穴を開けたり、戦闘機を素手で撃墜したりする人間が現れた。挙句の果てには7つの目から光線を放ちながら空を飛び、最新鋭装備で固めた一個師団をものの数秒で蒸発させた人までいる。ベースボールによる肉体強化が人々から理性を奪い去ったのは事実だ。ベースボールをやっていれば楽しくて仕方がない。ベースボールをやっている時、人間は無敵なのだ。』

『ベースボールはすべてを超越した。ベースボールはすべての欲望を満たす万能薬だった。ベースボールこそ究極のスポーツである。と2065年頃の人類は思っていた。そして2066年には社会崩壊が決定的になり2068年はベースボールがスポーツであることが否定された。なぜならスポーツが存在しなくなったのでただ単にベースボールと言えばよかったのだ。』

『そして2069年3月、地球上の人類は自らの生み出した概念により、消滅した。』

『その後地球上に残されたのは見放された人や物だけだった。』

『”ベースボールは我々を選んだ。ベースボールは我々の理性の殻を割り、野獣的な中身を具現化させた。ベースボールは我々を調理した。ベースボールは我々を食らった。” 著者不明』

「これって…………」

僕は恐ろしくなる。クラスの雰囲気も悲しく、泣き出す人もいる程であった。

「うわーん!」

隣の席の子が大声で泣く。先生が慌ててその子の元へ行き、宥める。

「おい!どうしたんだ!?」

先生はクラスの中を見回す。

「先生!俺が泣かせたんじゃありませんよ!!」

男子生徒が声を上げる。

「いや、わかってるけどさ。ほら、みんな落ち着いて、な?」

先生はそう言って、皆を落ち着かせる。僕たちは少し冷静になる。そして授業が再開される。

でも、もう授業どころじゃない。教室にいる全員が黙々と教科書を読んでいた。先生だけが黒板に向かって何かを書き続けていた。

「…………えっと、とりあえずここまでかな?じゃあ、今日の授業は終わりにするぞ。号令よろしく頼む。」

 

「きりーつ、きをつけー、れーい」

学級委員の人が、気の抜けたような号令をかける。

「ありがとうございました」

生徒達が挨拶をする。しかし誰一人として挨拶を返すものはいなかった。

「ではみなさん、今日はこれで終わりですので、帰っていいですよ。」

担任の先生はそれだけ言うと職員室に戻っていった。「お、お前らも早く帰れよ。」

他の先生達はそそくさと帰っていく。

「…………帰るかぁ。」

誰かが呟く。すると堰を切ったように、次々と帰り支度を始める。

 

ベースボールは人間の理性を奪う。ベースボールは人の心を破壊する。ベースボールは人々の魂を喰らう。ベースボールは人の命を簡単に奪える。ベースボールは人類の敵だ。

『我々はベースボールを憎むべき悪とする。』

僕はこの文章の意味がやっと理解できた気がする。そして今朝のニュースで見たあの映像。あれはベースボールをやっている人達の映像だったのだ。

「ベースボールは、人間を殺すのか。」

僕は恐怖を感じた。

ベースボールが怖い。ベースボールをやる奴らが恐ろしい。

僕は何もかも忘れたくなって、急いで家に帰った。

家に帰ってきた僕はテレビをつけた。

 

するとベースボールが行われていた時期に地球で撮られたビデオが流されていた。そしてその内容は恐怖と狂気を感じさせるものであった。それはこんな感じだった。『2060年代、日本にある一つの街が出来た。その街の名は【野球】。ベースボールの街である。そしてこの街にはベースボールクラブがあった。そこでベースボールをやっていたのは、とある少年達であった。彼らはベースボールを愛し、ベースボールに全てを捧げていた。彼らのベースボールに対する愛は本物であり、そのベースボールへの愛が彼らに超人的な力を与えていた。ベースボールという存在が彼らを強くしていたのだ。』

『2063年、ベースボールの世界大会が開かれることになった。その大会に日本の代表として選ばれたのが、当時小学六年生の三人だった。』

『まず最初に行われたのはベースボールのトーナメントである。ここで優勝したチームは翌年のワールドベースボールチャンピオンシップの出場権を得ることが出来た。』

『この大会は三日間かけて行われる。一日目、二日目は予選リーグ、三日目に決勝戦が行われる。』

『最初の試合が始まった。1番センター、背番号2、【比嘉】。』

『続いてゴールキーパー、背番号3、【田中】。』

『最後に赤コーナー、背番号4、【野崎】。』

『3人とも小学生とは思えないほど体格が良く、身体能力も高かった。そしてこの世代は子供の頃からのベースボールをしていたため異常な能力を得ていた。比嘉は3mを越える身長を持ち、片手でタンカーを持ち上げるほどの筋力があった。田中は口からプラズマ火炎を放ち、相手を蒸発させることができた。そして野崎は10個の目と10個の耳、そして100本の触手を持つ怪物であった。』

『3人は順調に勝ち進み、決勝の舞台に立った。決勝の相手はなんとロシア連邦代表であった。決勝は日本の【野球】で行われた。』

『試合開始前、マウンド上で緊張している選手がいた。野崎であった。彼はロシア代表【ノヴァク】の恐るべき能力に恐怖していた。其の能力は他のチームからも”ツァーリ・ボンバ”として恐れられていた。なぜなら彼は自分の体から放つ光だけであらゆるものを焼き尽くすことができるからである。』

『試合が始まる。しかし、野崎の投球練習は思うようにいかない。ボールを投げるたびに指先や手首が折れてしまうからだ。』

『だが、ついに本番の時が来た。審判の合図と共に両チームの選手が一斉に走り出す。』

『先頭に出たのはやはりノヴァクであった。彼は驚異的なスピードを持っていた。すると彼は田中と接触した。するとノヴァクは田中とどっちの火力が強いか、恐るべきことに街を焼き尽くして決めようとした。そして実際にそれは行われた。ベースボールスタジアムは一瞬で灰になった。しかしそれでもまだノヴァクは止まらなかった。今度は田中はプラズマ火炎で迎え撃った。街は灰となった。そして両者は激しくぶつかり合った。その瞬間、ノヴァクの体が燃え上がった。そしてそのまま倒れて動かなくなった。』

『この出来事にロシア代表の選手も黙ってはいられなかった。ロシア代表にも超人的な力を持つ人がいた。まず一人は”冬将軍”と呼ばれていた【アレクセイ】であった。彼は周りの温度をマイナス1000度まで下げることができた。これは物理学では考えられないことであった。もうひとりは”雷帝”と呼ばれていた【イワノフ】であった。彼は超強力な電気ショックを発生させることができた。また彼の周りには常に稲妻が走っていた。』

『彼等はお互いがお互い同士の能力を競い始めた。その内容はまるで世界が破滅を迎えようとしているのでは?と思える内容であった。まずイワンノフは野崎の方を向いた。そして手を伸ばし、そこから電流を放った。そして野崎は雷をその触手でキャッチしそれをアレクセイへ光の速さで投げた。その瞬間、二人は吹き飛ばされてしまった。そして二人の能力は互角であり、どちらも一歩も引かなかった。そして戦いは続き、イワノフは稲妻で触れるものを破壊し、アレクセイは空気中の水分を集め氷に変えていった。また野崎は覚醒し触手からビームを放ち、比嘉はタンカーをロシア代表へ投げつけ、田中は口からプラズマ火炎を放ち、それぞれ対抗した。』

『しかし、ここで田中が力尽き倒れた。田中はその力をコントロールすることが出来なかった。田中の意識が遠のく中、田中は最後の力を振り絞り、口からプラズマ火炎を放った。その炎は瞬く間に街を飲み込み、ロシア代表達も飲み込んでいった。そしてその炎の中で若人達、そして【野球】に住んでた人たちは死んでいった。』

『こうしてこの大会の優勝チームが決まった。生存者数が多い日本だった。』

『ベースボールの歴史に残るこの大事件は火星の人によって【ベースボール・クライシス】と呼ばれた。』

『ただ、地球上のベースボールファンはその試合に大興奮だった。もちろんメディアも例外ではなく翌日地球のメディアはこのようにこの恐ろしい試合を伝えた。”熱戦の末、日本がロシア連邦を下し世界一”、”日本にもこんな素晴らしい選手がいるとは”、”熱戦に感動しました。特に最後の田中選手の放ったプラズマ火炎には驚きました。あの威力はノヴァクのそれ以上であると専門家は語っております。”』

『そして、このニュースは全世界に広がり、人々はその試合を名試合と呼び、そして、地球上の人々はベースボールにさらに熱狂していった。そして人々はベースボールに狂っていく。』

……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………私は絶句した。なんだこれ? こんなことがあっていいのか? あまりにも酷い。

あまりにも酷すぎる。

なぜこんなことを? どうしてこんなことを? 確かにこれはひどい

「なんて恐ろしいんだ…………」

僕は思わず声を出してしまった。

「こんなことが本当にあったのか?」

僕には信じられなかった。

僕は急いでパソコンを開きインターネットを開いた。

するとそこにはベースボールの記事が載っていた。

『2067年7月14日、ベースボールの試合にてオーストラリア大陸の10%が蒸発、ユーラシア大陸ではヒマラヤ山脈が消滅。アメリカ大陸では不明な物質を含んだ虹色の雨が降った。アフリカ大陸では気候が大きく変化し、気温が100°C以上になる地域が現れた。』

『2067年7月25日、ベースボールの試合においてアメリカ合衆国がカナダとメキシコの大半を消滅させた。』

そんな記事ばかりが目に入った。

なんということだ。

僕は絶望してしまった。

ベースボールはここまで来てしまっていたのだ。

もう手遅れだったんだ。

人類はベースボールから逃れることは出来なかった。

なんとかしてベースボールを無害なスポーツにしなければならなければならなかったけど、彼等はそれをしなかった。なぜならベースボールは楽しいからだ。そして、それは仕方のないことでもあった。

何故ならベースボールは人を魅了してしまうものだったから。

だからベースボールはやめられなかった。

私は更に絶望した。

 

けど、私達、そして私達の母や父ははその狂気から逃げることができた。でも、それはほんの一部に過ぎない。

きっともっと多くの人がベースボールの狂気に飲み込まれていって死んでいったんだろう。

そして、私達が今生きていることは奇跡に近いのであろう、と私は思った。

するとお父さんが部屋に入ってきた。そしてこういった。

『ほう、今日は学校で歴史の授業をやったのか、どうだ、面白かったか?』

私は答えた。

『ベースボールは怖いよ。恐ろしいよ。』

私はその質問に対してこう答えるしかなかった。

だって、私がその授業で習ったのはベースボールの恐怖についてだったから。

ベースボールの歴史について学んだのは、たったそれだけのことだったから。

私はそう言いながら、涙を堪えることが出来なかった。

するとお父さんは自らの過去を語り始めた。

『俺も昔はベースボールをやっていたんだ。』

えっ!? 私は驚いた。まさか、父もベースボールをしていたとは思わなかった。

お父さんは続けた。

『俺はベースボールが好きだった。そして、ベースボールに夢中になった。しかし、ある日、俺はベースボールをやめた。』

私はその理由を知りたかった。

するとお父さんは言った。

『あまりにもベースボールがおかしくなっていたからだ、だってそうだろ? ベースボールはあまりにも危険すぎたんだ。』

『ベースボールはあまりにも危険なゲームだった。』

『ベースボールはあまりにも狂っていた。』

『ベースボールはあまりにも恐ろしかった。』

『ベースボールはあまりにも悲惨だった。』

『なので、居場所がなくなる覚悟を持って、ベースボールをやめた。』

『それでも、ベースボールは好きだったがね。』

『だが、俺はそのベースボールのせいで家族を失った。』

『ベースボールによって大切なものを失った。』

『ベースボールによって愛する人を失った。』

『ベースボールはあまりにも残酷だった。』

『しかし、火星はまだ狂っていなかった。私は火星に行くために全財産を払った。そしていまここにいる。』

『火星開拓の仕事は大変だった。しかしあの狂ったゲームをしなければいい、と考えれば、楽園のように思えた。』

『もちろん火星開拓には辛いこともあった、仲間はどんどん飢えや乾きで死んでいった。しかし地球上で行われている狂気に参加しなくていいと考えれば、耐えられた。』

『それに、私には妹がいた。彼女は死んでいた、もう何年も前にな。』

『彼女もまたベースボールを愛していた。』

『彼女はベースボールが好きでよく二人でベースボールパークへ行ったものだ。』

『彼女のいない生活はとても寂しいものであった。』

『しかし、彼女はベースボールにより死んだ。彼は3週間もぶっ続けでベースボールをやっていた。死因は四肢の欠損であった。どうやらベースボールのやりすぎによる疲労骨折が原因であるらしい。』

『彼の体はボロボロになっていた。』

『彼もまたベースボールの狂気に蝕まれていたのだ。』

『火星であった妻も同じような理由で兄弟全員を亡くしている。そのうち一人は骨すら残らなかったと言う。』

『私はベースボールが嫌いになった。』

『私はベースボールが憎いと思った。』

『私はベースボールが大嫌いだ!』

『私はベースボールが怖くて仕方ない! ベースボールなんてなくなってしまえばいい!!』

『私はベースボールが大嫌いだ!! 大嫌いなんだ!!! 大ッ嫌ェーイィィーーー』

『けどそう言ったって、死んでいった人々は戻ってこない、私は今を生きている事に感謝している。』

『私はベースボールが好きだった、だから生き続ける。』

『生きることが好きな人は私の家族だ。』

『ベースボールの狂気に飲み込まれて死んでしまった人々のためにも、生き続けなければならない。』

『だから私はここにいる。』

『私はここで生きている。』

『私はここで生きていこうと思う。』

『それが私の使命だと思うから。』

『だから私は生きていく。』

「お父さん…」

私は感動する。そうか、お父さんもベースボールに飲み込まれてしまったのか…… お父さんもベースボールの狂気に飲み込まれてしまったのか………… でも、お父さんは違ったんだ。お父さんはベースボールの狂気から逃げられたんだ。

お父さんは強かったんだ。

お父さんは狂っていなかったんだ。

お父さんは狂っていないんだ。

お父さんは凄いんだ…

私はそう思い、寝ることとした。

翌朝、目が覚めるとお母さんが朝食を作っていた。

そして、私が起きてきたことに気が付くとこう言った。

『おはよう、今日もいい天気ね。』

『お兄ちゃん、昨日はよく眠れた?』

『うん、ぐっすり眠ったよ。』

『それはよかったわ。さぁ朝ご飯を食べましょう。』

『いただきます。』

『ごちそうさまでした。』

『じゃあお父さんを起こしてきてもらえるかしら?』

『わかった。』

私はお父さんの部屋へと向かった。

コンコン

『お父さん起きてる?入るよ?……えっ!?』

そこには目を疑うような光景が広がっていた。

なんと、お父さんはベースボールバットを振り回していた。

『なにしてるの?お父さん?』

私は恐る恐る聞いてみた

「ああ、野球だよ。ベースボールのもととなったスポーツさ、大丈夫だよ。これをしても狂いはしないさ。問題があるとしたらちょっとルールが難しいことと、やる場所があまり無いということかな。ここでは古いスポーツを復興させようとする動きがあって、その一環なんだ、例えば最近ではバスケを復興させようとしてる団体があるから、今度の休みに昔の文化を知るために一度見に行ったらいいよ。」

『そういえば昔、ベースボールを復興させる運動があったよね。あれどうなったんだろう。』

「まぁ、結局失敗に終わったみたいだけどね。」

『そうなんだ。』

「それにしても懐かしいな。私が初めてベースボールをやったのはこの火星開拓事業が始まる前だったな。」

『私も一緒にやっていい?』

「もちろんいいとも!」

『じゃあ私も混ぜてもらっていいですか?』

「もちろんいいとも!みんなでやると楽しいぞ。」

『じゃあ私もやらせて頂きます。』

「よし、じゃあやるか!」

『まずはどうすればいいの?』

「そうだな、まずはキャッチボールからだな。」

『キャッチボールって何?』

「これはな、ボールをお互い投げ合う遊びだ。」

『へぇー』

「じゃあいくぞ?」

『うん!プレイボールだ!』

こうして、火星の日々は過ぎていく。私は学校へ行き、友達を作り、勉強をし、スポーツをして、帰って、お父さんとお母さんとに夕食を食べる。

そんな毎日が幸せだ。

ベースボール【完】

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エピローグ

あれから4000年近くが経ち、とっくに人類は地球への帰還を成功させていた。そしてベースボールによる一連の騒動はもはや神話の中のものとされていた。その内容はこのようなものであった。

【ラヘッタ神話:破壊神、フェッズバルの出生と死】

あるところにタン・カー神と言う名のアーフ界の東半分の創造神あり、彼にはバセヴェールとサカーと言う兄妹あり。

ある日バセヴェールとサカーは激しく包容を交わすと、フェッズバルが産まれた。

彼は彼の子と他の神の子らを魅了し、我が子にしていった。

やがて神々は彼を恐れるようになり、彼を殺すことを誓った。

しかし彼を殺すことはできなかった。

そこで彼らは彼を殺す方法を考えた。

それは彼の動作を真似することであった。

彼の動作とは、玉や棒、網や靴を用いて行う競技である。

その動作は、彼のみならず、彼の子、そして他の神の子も行っていた。

しかし、それをしない神の子もいた。

彼等は天空神、ラヘッタの子であった。

ラヘッタ神は自らの神の子を剣に乗せ、それを天上の地、メースへと投げ、自らの神の子をフェッズバル神の目につかない場所へと運んだのである。

ただフェッズバル神はそれを快く思わなかったのか、ラヘッタ神を玉や棒で打ちのめした。

更にフェッズバル神は狂い始め、自分の子供すら殺そうとした。

そして彼は正気を取り戻し、自分を殺しに来た者達を皆殺しにした。

その後、彼は再び狂い始めて、自分の子を皆殺しに、更に他の神の子すら皆殺しにした。

そしてアーフには彼一人となった。しかし、彼は孤独ではなかった。

彼の周囲には、多くの子供達がいた。

彼はその子達を愛した。

しかし、その愛は狂気の愛であった。

彼は自分の子供を自分の手で殺した。

それでも、彼は愛することをやめなかった。

彼は、自分が死ぬことで、この狂気から解放されると考えた。するとその時、天上界メースに隠れていた、ラヘッタ神がアーフに向けてフェッズバル神が玉を投げるように剣を投げた。それはフェッズバル神の首を貫いた。彼は三年間苦しんだ後に死んだという。その後、ラヘッタ神はアーフの地に子らをおろしたという。これがラヘッタ神話における、破壊神、フェッズバルの物語である。

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この物語を模倣して地球(現在ではもっぱら、アーフと呼ばれている。)では鉄でできた剣を投げラヘッタ神に感謝する祭が行われている。これは口語で「ラヘ・ルナンチャエン IPA表記:[ɹaxe lnãt͡ʃaʕẽ] 意訳:”ラヘッタ神はソレを投げた”」と言われている。また、この祭を「ラヘッタ祭り」とも言う。

なお、ラヘッタ神はメースの守護神であり、地球においては、人間が信仰すべき神として伝えられている。またフェッズバル神は、悪魔サータンの別名とされている。